5月25日(水)17:10〜18:55
講師 傳田光洋氏(明治大学先端数理科学インスティテュート 客員研究員)
https://m-denda.wixsite.com/denda
皮膚研究の第一人者である傳田氏によれば、皮膚は人間の脳にも匹敵する最大の「臓器」です。体毛のない「皮膚」は、人間の進化にどんな影響をもたらしたのでしょうか。著作『驚きの皮膚』『サバイバルする皮膚―思考する臓器の7億年史』などをベースに、自然科学と人文科学をまたがる視点から、人間と皮膚の関係についてお話しいただきます。
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生活のデジタル化が進んだ現代社会で、嗅覚と並び、日常での存在感が薄れつつあるのが触覚である。インターネット環境があれば、私たちはパソコンのマウスとキーボード以外に触れることなく(音声入力システムがあれば、指すらまったく触れない)、他の誰かとコミュニケーションをとれるようになった。コロナ禍では、感染対策という要素が加わり、その流れが一層加速している。電車の手すりにはなるべく触れない、小銭ではなく電子マネーで買い物をする、挨拶するとき握手やハグをしないなど、アフターコロナの時代、「接触」はできれば避けるべきものとみなされる。
とはいえ、人間関係の形成において、接触は大切な要素の一つである。生まれたばかりの新生児は、指や舌や唇を駆使して、自分自身と他者との関係を認識しながら生き延び、成長していく。乳幼児への接触は、身体的な成長、活動性、周囲への適応、感情のコントロールなどに重要な役割を果たしている(アッカーマン、1990=1996)。さらには、指圧やマッサージ、理学療法、介護におけるユマニチュード、心理療法におけるタッピングタッチなど、人間のライフスタイル全体においても、接触のもたらす情緒的、健康的効果が注目されている。今回の講義をとおして、これらの効果が生化学的にも裏付けられること(オキシトシンやコルチゾールの分泌など)がよくわかった。
一方、質疑応答でもあがっていたように、接触は相手の内面に入り込むという意味で、侵襲性が高い行為でもある。ケア、診察、スポーツ、性愛などの状況では、相手との関係の取り交わし方をめぐり、それぞれに倫理的問題が生じる(伊藤、2020)。そこでは、お互いの「信頼」が基盤となるため、双方向のやりとりが次なるコミュニケーションをひらくこともあれば、両者の信頼度のズレがディスコミュニケーションや暴力につながる可能性もある。これは、表皮が人間の身体を物理的に守るだけでなく、自己と他者の心理的なバウンドリーとしても機能していることの表れでもある。
さらに、皮膚に記憶があるかどうかという問いも興味深い。暗譜してピアノを弾く行為には、ただ鍵盤を叩くだけでなく、音の柔らかさや硬さ、曲調に合わせたメリハリなど、脳や脊髄反射だけでは説明できない何かが作用しているように思える(指先でビブラートをかけて繊細な表情をつける弦楽器の場合、この作用がより顕著になる?)。作曲家の三善晃は、腕の痺れと痛みでピアノが弾けないとき、鍵盤の上に指を置くと「ピアノの音が指の骨を伝って聴こえてくる」という(三善、1995)。もちろん、物理的な音が鳴っているわけではない。だが、「それはまぎれもなくピアノの音、というよりもピアノの声」であり、「骨の記憶のようなものなのだろう。それは日常の意識や欲求とは違って,むしろ私とはかかわりなく自律的に作動するイメージである」と表現している 。ここでの「骨」を「皮膚」と読み替えてみると、今回の議論にも接続できるはずである。
触覚は過去の経験や記憶と密接に絡んでいるため、単独で研究する難しさがあるという。だが、それだけに自然科学のみならず、学際的な知をひらく領域なのだろう。身体の部位でも周縁とみなされやすい皮膚に、人間をとらえるための重要な鍵が隠れているということが面白かった。
<参考文献>
アッカーマン.D(1990=1996)岩崎徹・原田大介訳『感覚の博物誌』河出書房新社
伊藤亜紗(2020)『手の倫理』講談社
三善晃(1995)「指の骨に宿る人間の記憶」朝日新聞1995年7月4日夕刊『自分と出会う』