第18回研究会「家事からみた科学と社会の未来」

5月29日(水)17:10〜18:55

第18回研究会「家事からみた科学と社会の未来」

講師 和田幸子氏(株式会社タスカジ代表取締役)

 人間の命を支え、日々の生活を支える「家事」。その内容は大切かつ複雑であるにも関わらず、軽視されがちです。家事代行マッチングプラットフォームを行なっているタスカジの代表取締役、和田幸子さんをお招きして、家事や家事代行サービスから見えてくる私たちの未来について、考えていきたいと思います。

 当日は、まず、和田幸子先生に表題のご講演をいただき、研究会参加者による質疑応答と、先生を交えたディスカッションを行いました。

 
 本研究会は、一橋大学大学院社会学研究科のプロジェクト「先端課題研究21」として、学生も受講することができます。学生参加者のレポートより、こちらに参加記を掲載いたします。

参加記①はこちら(▼をクリックすると折りたたむことができます。)

 今回の講演を聴いて、タスカジを経営する和田さんが、個人的に直面した困難から、新たに事業を立ち上げ、解決策を見出した点が印象に残った。現在の日本社会では、女性が家事や育児を担うことが期待されるというジェンダー規範が根強く、国際的に見ても女性の家事や育児といった無償労働の割合が高いと言われている。一方で、男性は有償労働時間の割合が長く、家事や育児に費やす時間は圧倒的に短い。和田さんはパートナーと家庭内の家事をシェアしていたが、それでも「毎日の家事が消化不良で心が荒む毎日」「キャリアアップなんて『無理』」と思うほど、労働をしながらの家事や育児の負担は重い。そうしたなかで女性が、キャリアの維持や向上を目指すことが難しい。このような現状を前に、解決策として画期的な事業やシステムを立ち上げたという話は、率直に学ぶところが多かった。
 他方で、家事から得られる価値、つまり労働者=タスカジさんが家事に対してやりがいを感じたり、スキルやクリエイティビティを発揮して優れたサービスを提供したりする側面を大切にする姿勢も重要だと感じた。というのも、家事や育児といった労働は、それが無償であるがゆえに、しばしば誰にでもできるもの、取るに足らないものと見なされるが、家事に対して付加価値を見出すことで、家事に対するイメージや価値観を変化させるではないかと思うからである。
 最後に、講演を聞きながら、会社員としてフルタイム労働を続けながら、ほとんど一人で家族のケア労働を担ってきた母親のことを思い出していた。実家は地方にあるため、ジェンダーにまつわる抑圧や困難は少なからずあるように思う。時代的にも場所的にも、タスカジのサービスを使えなかったと思うが、それでも何とかして母親の負担を少しでも減らすことができたらよかったなと今になって感じる。タスカジは、都市部のアッパーミドル層を市場とするサービスのため、利用する層は限られると思うが、タスカジのような個人的な困難に端を発するようなビジネスモデルやテクノロジーをさらに発展させていくことが、女性、あるいは何らかのマイノリティ性を持つ人びとが、キャリアを切り拓いたり、より良い生活を送ったりするうえで重要のなるのではないかと感じた。

社会学研究科  修士課程   鈴木雅稀

参加記②はこちら(▼をクリックすると折りたたむことができます。)

 家事代行サービス『タスカジ』は、従来の富裕層向けのサービスとは異なり、都市部の共働きの「パワーファミリー」が主なユーザー層であるという。家族社会学の文脈でいえば、核家族化によって家族形態が変容し、子育ては家庭や家族が担うものという規範が見直され、子育てに関する様々なサービスが利用されるようになった「子育ての社会化」(脱家族主義)の流れにも合致するものであろう。経済学者のカール・ポランニーは、近代史は市場経済の「埋め込まれた状態からの離床」であると述べる。社会の中に埋め込まれてきた経済(たとえば交易や物々交換など)は、資本主義社会の到来により匿名性を帯びた自由競争による個別化と外部化の舞台と化した。資本主義が引き起こした大きな変化は、マルクス的に表現するならば「労働力の商品化」である。搾取する資本家と搾取される労働者階級という資本主義がもたらす社会構造を明らかにしたマルクスの理論はその後の社会に大きな影響を与えたが、一方で主に女性が家庭内で担ってきた労働が不可視化されていることに対する批判の声が上がった。イリイチは、そのように主婦が家庭において行う、賃金労働者である夫の生活の必要条件としての無償労働を「シャドウ・ワーク」と呼んだ。「シャドウ・ワーク」はたとえば家事や家での子どもの勉強の補助、通勤など賃労働を保管する労働であり「人間生活の自立・自存の活動ではない」。『タスカジ』は、まさにこのような「シャドウ・ワーク」を可視化し、賃労働として価値付けしたものであると言えるのではないか。この転換を可能にしたのは、タスカジの「家事を科学し、言語化し、価値化していく」仕組みである。多くの家事代行サービスでは9割が掃除であるのに対して、タスカジでは掃除が占める割合は4割に過ぎず、料理・作り置きが4割、整理収納が2割と多様な家事が取引されているが、これも家庭に埋め込まれた家事を分解し、科学し、個別化することでサービス化することに成功したのではないか。またそこで得られた知見を書籍という形で言語化し、価値付けし、技術として流通することを可能にしたのである。結果として、新自由主義社会の仕組みの中で、フルタイムの、男性と同等に働く都市部の女性を家事労働の一部から開放することが出来たのではないか。
 新自由主義社会の仕組みの中で、つまり今の社会構造下における格闘の結果として誕生したタスカジの社会的意義を認める一方、その社会構造の影響をどうしても受けざるを得ない、乗り越えられないこともまた見えてくる。それはたとえば、シェアリングエコノミーは労働組合などの保護がなされないギグワーカーを生む温床になるという指摘があるが、それはタスカジのサービスにもあてはまるのではないか。上位の「タスカジさん」が生まれる一方で、安いサービス料しか提示できない「タスカジさん」をどのように保護していくかという課題もあろう。また、「タスカジさん」の多くが女性であることから、女性を家事から解放する助けをするのは、結局は女性の家事提供者であり、男性も含めた社会全体として家事を社会化することへと繋がっている訳ではない。また、これは私の推測であるが(とはいえ私も東京在住のフルタイムの共働き家庭であり、友人の多くもパワーカップルあるいはパワーファミリーである)、タスカジのようなサービスにお金をかけられるのは、家事の大変さをある程度共有する男性パートナーがいる家庭、つまり男性側も積極的に家事を担い、家事に対してお金を払う価値を認められる土壌があってこそなのではないか。家事の社会化という観点でいえば、こういったサービスを必要とするのは、男性が家事に一切関与せず、ワンオペに陥ってしまっている家庭の女性であろうが、そのような女性たちがタスカジを利用できるのか、という疑問も生じる。
 以上のような課題はしかし、社会構造による影響が大きく、一事業体の努力によって乗り越えられるものではないことも確かである。タスカジのようなサービスが、未だに不平等な立場に追いやられている女性たちが未来に向かってサヴァイブするその過程で生まれたことは間違いないだろう。

社会学研究科  修士課程   家子史穂