第16回研究会「ウェルビーイングのデザインを考える」

10月25日(水)17:10〜18:55

第16回研究会「ウェルビーイングのデザインを考える」

講師 ドミニク・チェン氏(早稲田大学文化構想学部教授)

ICTが急速に発展する現代、私たちの生活様式や対話のあり方は、リアルとヴァーチャルを多層的に行き来するハイブリッドなものに変容してきました。テクノロジーと幸福や健康の結びつきについて、「デジタルウェルビーイング」という新しい課題も生まれています。『未来をつくる言葉−わかりあえなさをつなぐために』や『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために その思想、実践、技術』(共編著)などを著してきたドミニク・チェン氏とともに、ハイブリッド時代のテクノロジーと人間の未来について考えていきます。

 当日は、まず、ドミニク・チェン先生に表題のご講演をいただき、研究会参加者による質疑応答と、先生を交えたディスカッションを行いました。

ご講演の一部

 本研究会は、一橋大学大学院社会学研究科のプロジェクト「先端課題研究21」として、学生も受講することができます。学生参加者のレポートより、こちらに参加記を掲載いたします。

参加記はこちら

「ウェルビーイングのデザインを考える」ドミニク・チェンさんの講演を聞いて
ー拡張された身体をデザインするー

「デザイン」は往々にして、利便性や機能性の向上のための手段として捉えられがちです。 例えば、一般的な歩行用ステッキは歩行困難者が歩きやすくなるためにデザインされたも のであるように、従来のデザイン観においては、当事者の不利益を解消することが第一目的 とされていました。

しかしチェンさんのご講演で紹介されていた数々のデザイン製品は、当事者の抱える不 利益を解消するのみならず、むしろ当事者の利益が増大することを目的に設計されているも のばかりであったことが非常に印象的でした。要するに、それらは無機質な利便性や機能性 の追求を超えた、付加価値の創出を目指しているのです。例えば、チェンさんご自身がデザ インされた皮革を用いた歩行用ステッキは、歩行困難者の補助という役割を超えて、より彼 らの身体に馴染み、いわば彼ら自身の生きた手足として機能することが期待されていまし た。果たして、皮革で覆われた柔らかい歩行用ステッキは、彼らの手足を代替しているので しょうか、それともやはり単なる無機的な道具に過ぎないのでしょうか。心の哲学や認知科 学の領域で近年注目されている考え方の一つに、「拡張された心理論(Extended Mind Thesis)」というものがあります。提唱者の A. Clark と D. Chalmers(1998)の主張をごく 簡単に要約すると、我々が普段使用する道具や外部環境が我々自身の身体や心的状態と同 等に機能するとき、それらの道具や外部環境は我々自身の「拡張された」身体や認知とみな すことができる、というものです。当然ながら、こうした非常にラディカルな認知観に対し ては、多くの批判も上がっています。例えば、「歩行用ステッキを使用する場合と人間本来 の手足を動かす場合とでは、使う筋肉の種類や脳領域が全く異なる以上、歩行運動に対して 歩行用ステッキが寄与する因果的役割は本来の手足とは全く異なるため、同じ機能を果た しているとは言えない」といった批判が突きつけられています。「因果」や「機能」の概念 を巡る哲学上の議論は非常に錯綜しているため、ここでこれ以上この問題に立ち入ること はできないですが、「拡張された心理論」ないしそれに立脚するチェンさんの皮革製歩行用 ステッキは、従来の「因果」や「機能」概念に回収し尽くされ得ない、全く別の視座から動 機づけられている印象を受けます。それは「規範性」という視座です。よくデザインされた 道具や環境を人間の拡張された身体や心とみなすことが従来の科学的身体観や科学的認知 観と共存可能かは未だ不明ですが、それらを拡張された身体や心とみなすことは、「バリア フリーからユニバーサルデザイン」や“From Mental Health to Mental Diversity”といった、 昨今の社会的規範の動向と整合的であり、そうしたルールメイキングを一層促進するもの であるとは言えるかもしれません。 

社会学研究科  修士課程   神崎祥輝