第21回研究会「感情の動員と復員―日本軍兵士のトラウマをめぐる経験と規範」

10月23日(水)15:15~17:00


講師 中村江里さん(上智大学文学部准教授・歴史学 本学社会学研究科出身『戦争とトラウマ』著者)

 学際共創研究会との共催で、講師として中村江里さん(上智大学文学部准教授・歴史学 本学社会学研究科出身『戦争とトラウマ』著者)をお招きしました。中村先生は、一橋大学 社会学研究科(本学)のご出身で、アジア・太平洋戦争期の日本を事例に、トラウマや医療・社会の歴史について研究をしています。
 本研究会では、中村さんのこれまでのご研究を踏まえながら、まずは戦争、軍隊などとトラウマについて説明していただいたのち、ジェンダーに応じて感情規範が異なることや、感情史研究の文脈では、恐怖だけを研究対象としてよいのか。恐怖だけではなく、恥、罪悪感などを含めた研究の必要性などについてお話しがありました。

参加記①はこちら(クリックすると表示されます)

 傷痍軍人武蔵療養所が小平にあったということを聞き、現在自分が生活しているところの歴史を見つめることで、知らないこと(知っておくべきこと)を知ることができると思いました。
 また、「ヒステリー=女のもの」「兵士=男性のアイデンティティー」とされて、ジェンダーの視点で戦争を見つめることで見えてくる大きな問題も多々あることがわかりました。
 「皇軍の精神的卓越」によって、どれだけの人が苦しみ、その後の人生に支障をきたしたかと思うと、とても悲しくなりました。戦場という異常な現場で悲惨な光景を目にしている兵士たちが、安定した精神状態を保てるほうが不思議と思えるなかで、「外傷性神経症」の背景に補償などの欲求があるなどと主張されることによって、精神病と診断されたり、それを認めたりすることが、「許されなかった」社会があったのだということがよく感じられました。日本の軍隊では、怖れや不安の表出を恥とし、それを禁圧させていたという点が他国と異なるところであり、それによって、戦争神経症の症状も異なるという点は大変興味深かったです。日本は特にその後のケア体制も、戦争神経症として認めることもなかなかせず、本当にたくさんの兵士を、無責任に苦しめたと思いました。今も、元兵士やその家族を、苦しめていると言えるかもしれません。復員兵の感情を捉えることの難しさと関連して、戦場から帰ってきて、何のケアもないまま家族と再会し、日常生活を送らなければいけなかった兵士たちは、本当に苦労したと思います。戦場で目の当たりにした人間の人間らしくない光景、あるいは、人を殺した経験など、家族やほかの人に語ることなどできないことを、たくさん抱えていたことだろうと思います。国や政府からの「裏切り」の意識や、怒りの感情は、なかなか向ける先がなく、家族への家庭内暴力や暴言などにつながったケースも多いかと思います。元兵士の家族は、暴力や暴言を受け、新たなトラウマを抱えることとなり苦しむという被害の連鎖も生まれ、戦争の被害というのは終わりがなく、続いていくということを象徴しているように思えてとても悲しく思います。
 中村先生のご研究やご活動の成果も大きいと考えますが、最近になって表に出はじめた戦争トラウマの問題と、敗戦から80年を迎えようとしている今だからこと向き合い、あの戦争とは何だったのか、今一度立ち止まって考えたいと思いました。

社会学研究科  修士課程   佐藤優

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 トラウマの社会的、歴史的背景について深く考えさせられた。特に、トラウマがどのように医学的に取り扱われ、また社会や文化がそれにどのように影響を与えてきたのかを理解することができた。私自身、トラウマという言葉を単なる心的外傷や精神的な傷に過ぎないものとして捉えていたが、この講演を通して、それがいかに社会的な影響を受けているのか、また時代や文化によってその意味がどれほど変わるかを実感した。
 一つ目に、トラウマが恐怖という感情に基づくものであり、その恐怖がどのように医学的に解釈されてきたのかという点について強く印象に残った。特に、トラウマが19世紀末における社会的な変動や医学の進歩と共にどのように理解されていったのかを知り、恐怖という感情がただの一過性の感情ではなく、社会的に重要な要素として取り上げられてきたことに驚きを感じた。トラウマが一個人の問題にとどまらず、社会全体の問題として捉えられてきた歴史に触れ、社会構造や文化が人々の心にどれほど大きな影響を与えるかを再認識した。
 二つ目に、軍隊における特殊なトラウマ体験について触れられたことが、非常に衝撃的であった。戦争神経症と呼ばれる症状が、兵士たちにどれほど深刻な影響を与えるのかを理解することができた。特に、手足の震えや麻痺、声が出なくなるといった身体的症状が現れるという事例を聞くと、戦争が精神に与える衝撃の大きさを感じずにはいられなかった。戦場での極限的な状況が心に与えるダメージが、単なる肉体的な傷だけでは収まらないことを改めて思い知らされた。このような心的外傷を治療するための精神医療がどのように発展していったのかを知ることも、非常に有益だったと考える。
 また、戦争神経症に関する医学的な解釈の変遷についても深く考えさせられた。特に、心因性の要因が重要視されるようになった過程が紹介されたが、この考え方が兵士たちの精神的ケアにどのように影響を与えたのかに興味を持った。心因説が受け入れられることで、心的外傷を負った兵士たちに対する理解が深まり、精神的なケアの重要性が認識されたことがわかる。このような変化が、今日の精神医療においても役立つであろうことを感じた。
 総じて、今回の講演を通じて、トラウマがどのように社会的に構築され、またそれが個人にどのように影響を与えているのかを考える貴重な機会となった。トラウマが単なる心の問題ではなく、社会や文化の影響を受けるものであるという視点を得られたことが、私にとって非常に有意義であったと考える。

社会学研究科  修士課程   李晶玄

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 1、エスニシティの神話、あるいは男らしさの神話
 中国の映画やテレビドラマの一部では、日中戦争中の日本兵士は、しばしば軍国主義の意志を貫くものとして描かれる。非人道的で、命令を絶対的に遂行する。このようなイメージは、近代日本人の国際的イメージとはかなりかけ離れている。このギャップを説明するために、日本人(この場合は集合体の総称)は敗戦の結果、この性質を一時的に抑制したと論じられてきた。もちろん現在では、こうした主張に対してさまざまな角度から反論することができる。この講演を聞いて非常に興味深いと思ったのは、日本兵士の中にある、軍事国家に服従する勇猛果敢なイメージは、人為的に作られた男らしさの象徴でもあるということだ。つまり、このような男らしさを象徴するイメージは、一方では戦時中に日本兵が従うべき規範であり、他方では戦勝国によってナショナリズムを喚起する材料として強化されたものでもある。このような背景から、敗戦によってもたらされたモラル・インジャリーを研究することは、戦時中の兵士やその親族のトラウマの修復に有益であるだけでなく、国民国家の神話、あるいは男らしさの神話を打破するためにも重要であると言えるだろう。このような男らしさの神話は、日本だけでなく世界各地に顔を変えながら存在しており、戦争中の兵士のトラウマという入口は、戦争への反省だけでなく、近代国民国家の神話への反省をも喚起すると考えられる。つまり、敵を憎んだり、自分の民族を守ったりするいわゆる感情は、「自然」なものではなく、精神的トラウマの禍根を避けることはできないのである。実際、「戦争は終わったが、まだその延長線上にあるようだ」というのは、兵士たちの精神的破壊の表れであると同時に、(第二次世界大戦終結後の)戦後秩序の再構築において、世界がナショナリズムと男性性の神話から脱却できていないことの反映でもあると考えられる。
2、「被害者」の視点を超えて
 一方、中村さんは、戦後生き残った日本兵を単に被害者として扱うだけではとどまらず、モラル・インジャリー(MORAL INJURY)、「恐怖だけでなく、怒り」、そしてその怒りの対象が女性であったことに言及した部分が特に印象に残った。 戦争が始まってからずっと戦後まで、ジェンダーの視点から全体を見るとき、(近代的な文脈で作られた)ジェンダーに関する神話を避けて通ることはほとんど不可能であったことを、この講義から教わった。 男性に対抗する 「弱い 」女性であれ、「裏切られた」女性であれ、心理的な回復を担うはずの家族の中の女性であれ、その過程ではみな受動的な立場で戦争の結果を被っているように見える。女性の視点から兵士たちの心情を見るなら、生き残った兵士たちの家族のライフヒストリーを検証し、そのプロセスにおける彼女たちの 「能動的 」な役割を見るのも面白いかもしれないと考えられる。

社会学研究科  修士課程   江洲