第13回研究会「分解の哲学――「技術」を考え直す」

5月31日(水)17:10〜18:55

第13回研究会 「分解の哲学――「技術」を考え直す」

講師 藤原辰史氏(京都大学人文科学研究所准教授)

「分解」とは、ものを壊して、属性をはぎとり、別の構成要素に変えていくことを指します。SDGsの時代、わたしたちは「生産」と「消費」の先に「分解」の価値について考えていくことを求められています。

『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考』『給食の歴史』『戦争と農業』『縁食論 孤食と共食のあいだ』など、さまざまな観点から<食>の歴史と思想を研究し、「食べること」を通して人間のあり方を捉え直してきた藤原氏をお招きし、分解の哲学から、技術のあり方について、問い直していきます。

当日は、まず、藤原先生による表題のご講演をいただき、研究会参加者による質疑応答と、先生を交えたディスカッションを行いました。

ご講演の一部

本研究会は、一橋大学大学院社会学研究科のプロジェクト「先端課題研究21」として、学生も受講することができます。学生参加者のレポートより、こちらに参加記を掲載いたします。

参加記はこちら

人間の心と身体を、使い捨てないために

 藤原さんによって投げかけられたいくつもの刺激的な問いの中で、講義が終わってからもしばらく私の心を掴んで離さない問いが、「人間も使い捨てていないだろうか」というものである。というのも、私は会社員として日々働きながら、病気や障害や育児など様々な事由で就労に困難を抱える労働者に対して、企業や社会がゆるやかに、でも確実にその人の居場所を奪っていく、いわば「使い捨て」の場面を何度も見てきたからだ。本来は、人間の心や身体、その存在自体を、生産に都合の良い鋳型に流し込むような労働のあり方のほうこそが問い直されるべきなのにも関わらず、である。この感想文では、分解(decomposition)の概念を手がかりに、近代以降の労働との関係で自明視されてきた人間の心や身体への見方を反省し、あり得たかもしれない別の見方の可能性を探ることにしたい。
 分解(decomposition)とは、生態系の中で食べて排泄するという利己的行為の積み重ねにより、ものの属性や機能がはぎとられ、ただそこにある状態に達するまでバラバラにされることをさす。そして、他のものと作用して様々な「副」産物を生み出しながら、生命体の垣根をこえて、生態系が循環していくことである。人間もミミズも等しく、食べて排泄することをつうじて生態系に参加する分解者であり、地球の通り道に過ぎない。強調したいことの一つは、生命活動のほとんどが実は分解のプロセスであり、生産活動よりも分解活動が進んでいなければ生態系は維持できないこと。もう一つは、分解は食べて排泄する利己的行為の積み重ねであって、統一や調和という神秘的な「美しい」活動ではないことだ。
 ナチスの熱心な環境保全活動の内実は、生産活動や労働を最上位とする価値体系のもと、自然と人間を統一的にコントロールし、調和させることだった。上記の分解とは全く異なるこの精神は、労働能力が低いとされた人間の排除や、特定の人種の抹殺を「自然の摂理」と考えることとも整合する。現代社会を生きる私たちは、ナチスで起きたことを過去のものと考えていて良いのだろうか。近代化で大量生産と消費を前提とする労働のあり方が定着し、ポストフォーディズムの現代になって、人間の働き方や価値観は変化したと言われている。しかし人間は未だに、生産活動に過剰な価値を置き、その継続を「サステナブル」と呼んで環境との調和を図ろうとする。未だに、人間の中心的活動は消費と労働であると考え、そのことに都合のよい心と身体を「生産的」と呼び、統一化しようとする。つまり相変わらず、生産や労働を中心に据えた自然観や人間観が自明視されているのではないか。
 このような人間の心と身体の見方を離れて、あり得たかもしれない別の見方の可能性を探るとき、ナポリ人の「いい加減さ」がヒントを与えてくれる。彼らは、自動車が壊れることを前提にして、卓越した名人芸で修理を施すことで、ものとの豊かな関係性を築いていた。
彼らにとって完璧な自動車は気味が悪いのだ。同じように、人間の心や身体も壊れることを前提として、壊れるからこその関係性を築けないだろうか。それは、壊れるから慎重に使えということではなく、壊れるからこそ絶えず手をかけ、壊れたところを契機に他のものとも結ばれていくような関係性である。生産と労働を最上の目的とする現代社会の前提に立てば人間の心や身体が壊れることはままならない現実でしかない。だが、生命活動のほとんどが生産ではなく分解のプロセスであること、私たちが分解者であり、地球の通り道であることを思い出すとき、そのままならなさは、人間が豊かに発酵する兆しに見えてくるのだ。

社会学研究科  修士課程  橋 麻依子