第12回研究会「生命を与える大地 〜北米ノースウッズを旅して〜」

11月30日(水)17:10〜18:55

講師 大竹英洋氏(フリーランス・写真家)

http://www.hidehiro-otake.net/

これまでの科学史では、科学技術は自然の生命を分析したり、管理するものとして発展してきました。いま、科学と生命・自然の共存や相互作用をどう考えていくかが問われています。北米ノースウッズで野生動物や自然の姿を写し、写真絵本や著作で物語を紡いできた写真家・大竹氏のお話をもとに、科学と社会の未来について考えていきます。

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先端課題研究21の講義が催される時間帯は、私にとっては一日で最も効率的な時間である。通常は電車に乗り、電動自転車に乗り換えて、子どもを迎えに行き、スーパーに寄り、帰宅後は先ず風呂と洗濯機と炊飯器のスイッチを押すところ、月に一度、様々な分野で活躍する方のお話を伺う時だけは、非日常的な感覚を味わえる。最終回の大竹さんからは、自然の凄みを感じることができ、一層特別な時間となった。

科学技術発展の恩恵を受けて、水を汲むことも火を熾すことも、足腰を痛めることもなく、長距離を移動し、あれこれと同時進行できるのは素晴らしいのだが、あまりに慌ただしいので、生活を営んでいるようで、生活に支配されてはいないかと反省することも時々ある。そのような時に、霜柱を踏んだり、子どもの成長に驚かされたりすると、湧き上がってくる気持ちを噛みしめてしまう。現代住宅が自然と地続きで建っていることや、現在が壮大な時間の中の小さな点として存在することに改めて気づかされ、こうした体験を通して、いかに自分が日常に拘束されているか客観視し、ひと時だけ解放された気分にもなれる。ノースウッドの野生動物の写真を見て同様の感覚に陥ったのも、はっと息をのむほど被写体が躍動的だったからだ。

そうした感覚を田舎育ちの私は思い出すことができる。オオカミとの遭遇に比べれば、些細なことではあるが、通学路を青大将が通せんぼしていたり、夜道を歩いていたらカブト虫が頭に張り付いたり、野鳥の雛が野良猫に捕まったりと、その度に緊張感に包まれた。大竹さんの言葉を借りれば、「無力な自分を知った」のであるが、これらの瞬間は情動と結び付いて、心理学的な説明では納得できないほど生々しく記憶されており、日常生活から切り離された体験が、直感や耐性のような新しい力を授けてくれたように思う。それは、不安や違和感といった心のノイズをキャンセルして状況と向き合う力であり、不要に相手も自分も傷つけないために必要な生きる力である。これまで勇気と聞いてイメージしてきたのは、積極的に前に進む勇ましさであったが、土台になっているのは、逞しさでも判断力でもなく、実はこうした耐性なのかも知れない。

こうした能力を我が子に獲得してもらいたいと思い、自然体験の機会を持つようにしてきたが、今のところあまり効果を感じられていない。その理由は本物らしさが足りないことにあり、もっと親の頑張りが必要だと思っていたが、大竹さんや参加者の皆さんのご意見を伺い、今では真逆の考えに至っている。環境の特殊さではなく、独りで過ごす時間が重要だったようだ。親が準備すればするほど、自然がレジャーになってしまい、生々しさに欠けてしまうからである。逆に言えば、独りで体験したことであれば、下校途中の道草でも、読書の世界でも、成長の機会を得られるのだろう。効率重視の現代的価値観は、教育にも入り込んでいる。小学生の保護者同士の会話には、子どもが積極的に目標を設定し、逆算的にスケジュールを組み、自己管理するようになるには、どう関わればよいかという話題がよく出てくる。自分にとって重要なものを見極め、集中することは勿論大切ではあるが、あまりに自己統制に意識を向けてしまうと、成果主義に陥り、周りが見えなくなってしまわないだろうか。そう考えて、我が身を振り返ると、子どもが忘れ物をしないかよりも、枝を持ち帰らなくなったことを気にかけるべきであったと反省する。

ところで、今回の講義で最も強い印象を受けたのは、前述の写真ではなく、大竹さんの醸し出す雰囲気である。現地にすっかり馴染んでいながら、現地そのものではない不思議な存在に感じられた。そして、ノースウッズの写真集における原住民のキャンディッド・フォトの扱いについて、別添えとの出版社の提案に反し、自然の写真と同列に挿入されたという話には、率直に言って胸を打たれてしまった。野生動物と原住民、大竹さん、写真を通して共有する私、それぞれの属する世界に独特の価値観があり、同じシーンを切り取っても、注目するものやその意味が異なる。しかしながら、これらが平行して一体した世界を構築しているのであり、自分の価値観に固執すれば、他の世界を脅かしかねず、自分の世界にも持続的な発展は期待できない。だからこそ、世界間の連続性を信じることが重要だと感じており、野生動物と現地住民の写真を同等に扱った大竹さんに感銘を受けたのである。大竹さんのように異なる世界の間を自在に動ける方はとても貴重で、写真家や活動家の方々が多様な世界を紹介してくださるので、私もこの世界の中で生きていけるのだと思っている。

さて、ノースウッズの森もアマゾンの森林もまるで異世界と捉えている我が子が、なぜエコ活動に熱心なのか不思議に思っていたが、道徳とセットで教えられたままに行動しているに過ぎないのではないだろうか。幼く従順な時期を過ぎてしまったら、自治体指定のごみ袋が高いからと嫌々続けるのだろうか。そうではなく、自分の世界を拡張した先に実在する世界を認識し、問題を自分事として捉えるようになることを願い、先ずは身近な自然との接点を見つけられるよう、留守番やお使いを増やすことにしようと思う。


社会学研究科 修士課程 酒井 幸子